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松山城に感激!

2023年の2回目の旅は四国の松山です。2月25日から26日と、少し寒さは緩んだもののまだ春には遠い感じでしたが、好天に恵まれました。

実は日本で四国だけ行ったことがなかったことと、加えて黒田九兵衛ゆかりの地であることから切望していました。四国に関わりがあったのは黒田九兵衛の二代目直次と三代目忠直です。

二代目直次は父親と同じように秀吉の弟の大和大納言秀長に150石で仕えていました。天正13年(1585年)7月の四国平定の際には尾藤甚右衛門知宣のもとで参加し軍功を上げます。四国平定後、淡路の志智城主の大名となった新進気鋭の加藤嘉明に召し抱えられ知行地を得て鉄砲頭になります。近江長浜の黒田村出身なので水軍と鉄砲の働きを認められてのことです。その後幕末まで代々の黒田九兵衛は加藤家に仕えることになります。

加藤嘉明

淡路国のあとに移ったのが伊予(愛媛県)です。当初、加藤嘉明の城は松山市の南の松前町にありました。二代目黒田九兵衛直次も松前地区に600石の知行地を得ます。しかし、直次は四国の関ヶ原と呼ばれる三津浜夜襲事件で立て籠った毛利軍に単身で踏み込み、12発の銃弾を浴び戦死してしまいます。その後、弟の重松が家督を継ぎ三代目九兵衛忠直として加藤嘉明や子の明成に仕えます。嘉明が松山城を築城する時も鉄砲大将として三代目忠直は仕えます。その後、元和元年(1615年)の大阪夏の陣では加藤明成のお供を務め、元和4年(1618年)には会津で600石を得て、寛永11年(1634年)7月の将軍家光の京都上洛の際には加藤明成のお供をして先発隊として先手組と持ち筒部隊を任されました。しかし、寛永20年(1643年)に加藤明成が会津騒動で会津藩を返上して浪人となった際には、伊勢桑名の幸名城主の久松家松平越中守定綱に30人扶持・200石で御物頭 (足軽大将)を務めました。松平定綱は徳川家康の甥にあたり老中職でした。三代目忠直が病死すると、加藤明成の娘が嫁いだ尼崎城主青山幸利に仕えていた直良が家督を継ぎ四代目九兵衛直良として久松松平家に仕えました。

松平定綱

つまり、黒田九兵衛ゆかりの地は、愛媛県松山・福島県会津・滋賀県甲賀市水口と長浜ということになるのです。

松山城へはロープウェイで登りました。山肌を削り、その土で盛り土をした広場はとても広いです。そこまで山道を登れば随所に防御のための仕掛けを見ることができるのでしょうが、ズルしちゃいました。壮大な石垣や随所にある鉄砲曲輪などなど息を呑みます。徳川の世になってから築城したとは思えない壮大な軍事要塞の威容です。天守閣に登れば、三津浜も望め、見下ろせば鉄砲町が見えます。長州の毛利や薩摩の島津の外様大名をいかに警戒していたかがよく分かります。

松山城

松山城の天守閣にもあちこちに鉄砲狭間があり、ありとあらゆる角度から敵を狙い撃てる仕掛けがあります。それを見て、私は加藤嘉明と黒田九兵衛直次が朝鮮出兵で得たノウハウなのだろうと考えました。加藤清正は陸軍として朝鮮に出兵し大きな軍功を挙げました。しかし、加藤嘉明や脇坂らの淡路水軍、紀州の九鬼水軍は李舜臣の活躍もあって苦戦しました。最も大きな要因が日本の水軍は兵と物資を運ぶ輸送船であり、駆逐艦のような戦闘に特化した小回りの効く船ではなかったことにあります。従って戦も盾で固めた狭間から鉄砲や大筒で応戦することになります。松山城の天守閣の鉄砲狭間を見た時に私は思わずそれを連想したのです。

展示では加藤嘉明の甲冑が飾られていました。そして会津で入れ替えとなった蒲生家の後に松山藩主となった久松松平家の展示品が見事でした。三代目がお世話になった縁もあり、久松家の展示にも興味をそそられました。久松子爵時代の洋館はドラマ撮影にも使われる素敵な場所です。同じ敷地の隣にあるカフェは実に居心地が良く、両方の建物を行き来するネコは穏やかな顔つきでした。いかにも「吾輩は猫である」の夏目漱石の舞台といった趣です。

久松別邸萬翠荘

松山市内からちょっと離れた旧知行地だった松前には北黒田、南黒田と地名が残っています。また、戦死した二代目直次を祀った黒田霊社は日尾八幡神社の階段傍に祀られています。代々の久松家もお参りをしたそうです。

日尾八幡神社内の黒田霊社

名物の鯛めしも美味しく、宿泊した道後温泉の「ふなや」も庭園が見事な良い旅館でした。

余談ですが、松前町の黒田地区に日本一うまいたい焼きやがあり、そこで買ってみました。人気店で段ボール2箱も抱えて大量買いするお客さんがいてびっくりしました。

余談:加藤嘉明と黒田九兵衛直次の関係はこちら

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